Taki's HP

登ったり 観たり 読んだり ひっそりと・・・










近況報告

・・・のつもりがいつの間にか気まぐれコラム。


1997年の出来事です。

「嵐山の紅葉」1997.11.10

ちょっと、早かったみたい。来週でしょうね、見頃は。でも、人はたくさん詰めかけてて、嵐山は怒濤の人混み、車道は交通規制で生活道路も渋滞だった。落合の渓谷で山道をレンタル自転車を担ぎながら歩く変わったおばさんを発見!気恥ずかしいのか、聞いてもいないのに、「いやー、私も後悔してるんですよー。」などとすれ違うハイカーにいちいちことわりを入れていた。紅葉が期待ほどでも無いので、このおばちゃんでも撮るかと思ったが、絵的に美しくないのでやめた。金鈴峡では若者が元気に服を着たまま川に飛び込んでいた。男も女も仲良くみんな突き落とされていた。その横一帯だけが色づいていたので、そこだけシャッターをきった・・・。

「夏が過ぎて・・・」1997.10.1

九月入って、急に寒くなっちゃって、風邪ひいたのかくしゃみばっかりしている。京都ってこんなに寒いのね。北海道から遊びに来た知り合いが、「札幌とかわらん」て言ってた。しかし、今年の夏はあっと言う間だった。あー暑いなー、っていう日もそんなに無かったように思う。やっぱり、大阪や姫路にいた頃の方がずっと暑かったよな、それで、九月の終わりまでは残暑がつづいて、アー涼しくなってきたなーって頃に、学祭やら運動会が始まるんよね。後夜祭とかって丁度いい気候って感じがすごいしたもんね。それが終わると、紅葉の山に仲間と自転車でキャンプに行って、芋なんか焼いて食べてたんだよな。もう、十年近く前の事なのが信じられない。
 今年の夏は、休みは三日ほどで、あとは毎日学校にいって実験装置を組み立てていた。私は雷や夕立が好きで、特に夜中の雷や夕立の雷、夕立の後の空気の臭いとか雰囲気とか、遠い子供の頃を思い出す。北海道にいる間は夕立も、雷もあまり体験できなかったので、せっかく関西に戻ってきたのだから思う存分、雷を楽しむぞと思っていたのに、全然期待はずれだった。夕立も、2回くらいしか無かったように思う。ただ、唯一夏のはじめに、夜中三時の雷を見た。真夜中の夜空を真っ白に輝かせて何度も光る美しさに、恍惚として数十分見とれていた。あくる朝カーテンをあけてみたらベランダの窓が、顔の張り付いた後だらけになっていた。
 夏の間、誰か「どっか行こう」って言ってくるだろうと思って、仲間に声をかけずにいたら、八月の終わりになっても誰も連絡してこないので、ついに自分から電話してしまった。そうすると、他の奴も誰か声かけて来るだろうと待っているうちに日が過ぎてしまったらしく、休みを取ってもどこへもいかんと家でぼうっとしてたらしい。早速、遅れを取り戻そうと計画を始めたが、八月のお盆を過ぎたらもう海はクラゲ:海=2:1ぐらいになってしまうので(誇張あり)どこかにくらげのいない海は無いか思案した。かなり考えたところで、琵琶湖を思いつき、すぐキャンプ場に電話したが以外とこの時期でもキャンプ場は混むらしく、三件断られて、やっと近江今津の近くのキャンプ場がとれた。ただ泳ぎに行くだけでは面白くないので今回はスモークづくりをする事にした。知り合いの知り合いの研究室からメタノールの一斗缶をもらってきて、針金とペンチを使って現地で容器を作ることにした。当日チップを買い足し二日目の朝から仕込んでおいた鶏肉やチーズ、はんぺん、たこなどを吊して2、3時間いぶして出来上がったスモーク・フードは何かいまいちだった。付け汁が悪かったのか、期待が大き過ぎたのか。実は難しいのね、スモークって。それはさておき、夜は、結構語り合った。結婚生活の話や、お互いの考え方、生き方、世の中の流れ・・・。酒もたくさん入っていたが、話の真剣さが酒に打ち勝っていた。とても充実していた。一人が海水パンツをサポーターごと木にかけて忘れてきた以外は大したハプニングもなく、日焼けて、一夏分十分取り返してかえって来られた。
 九月に入ってからは、岸和田だんじり祭りを友達と見に行った。周りからさんざん「死ぬぞ」とか、目の前で警官が鳥居に潰されて死んだ話とか聞かされて、びびりながら見に行ったが、全然安全だった。喧嘩とかも全然なくて、やり回しをしてるとき以外はほとんど危険なことはなかった。もっと、がんがん走り回っているのかと思ってたら、やり回しの時以外って、割とだらだら歩いてたりするのね。新しい発見だった。確かに、すごい迫力で他の祭りとは違うけど、ねぶたなどに比べるとかなり安全面に気が配られていて、子供連れでも全然問題なさそう。反面、ハプニングも少なくなっていて、おそらく以前よりも活気は無くなったのではとちょっぴり残念な気もした。
 十月は、2週間の札幌出張があり、北大銀杏並木の紅葉を拝めそうだ。実験計画を目下作成中である。そして、十一月は球技大会、学祭。始めての京都での冬・・・、こんなにもいろいろあった一年も、あっと言う間に終わってしまうのだろう。
 あっ、さっき26歳になっちゃった!お誕生日おめでとうメール待ってます。

「Nice to meet you! Mr.Gordon.」1997.7.13

先週から、イリノイ大のゴードン先生が我々の研究室にやってきている。学生は対応に苦労している。特に、一緒に実験をこなしているM2、T君は実験中、ずっと彼にFIXされているので、心身的疲労が大きいようだ。ほかの学生D2、I君は秋よりゴードンのところに留学するため今から交流を深めようと頑張っているようだ。彼はゴードンが来る一週間前からWelcome!!の看板づくりに勤しんでいた。私だけが、楽観者なので、銀行に連れていったりした時も、気楽に世間話する余裕があって割と楽しんでこの一週間過ごせた。
 彼はユダヤ教なので、いろいろ生活面に問題があったりする。ユダヤ教はお祈りしてない肉は食べられない。食事はすべてベジタリアン風になってしまう。ちょっと、その辺で食事と言うわけには行かず、彼はいつも旅行に携帯しているお祈りされた、ツナの缶ずめをたべるので、学食以外では、サラダぐらいしか食べられない。だしに、肉を使っているのもダメっと言うくらい厳しいのだ。さらに金曜日の日没から、土曜日にかけて働いてはいけないので、金曜日はさっさと帰っちゃう。コレにはT君は喜んでいたが、問題は次の日、一日電車やバスを使ってはならない(自転車も)事なのだ。研究室の一部のメンバーが、週末ゴードンさんを京都観光につれて行かねばならないのだが、コレにはいっさい交通機関が使えないので、とにかく歩かなきゃならない。しかも梅雨前線の停滞で雨が降ってるから、多分びしょぬれになりながら京都の町を15キロくらいかっ歩することに。
 外国人対応って大変だなーなんて、ひとごとの様に言ってたら、教授に、「来週の土曜日から、ラビシャン・カラって人が来るから、空港から連れてきて京都御所を観光させてくれ」と言う命令が!?やばい、英語勉強しなきゃ!!!

「琵琶湖の嵐」1997.6.29

装置がまともに動き出したり、幼なじみと再会したりといろいろ忙しい週だったが週末は全く予定が無かったので、釣りに行くことにした。その日(28日)は朝からぐずついた空模様だったが、降ったりやんだりで、昼過ぎぐらいから、ルアーを投げ始めた。時々ぱらつく雨のなか、二時間位投げていたが、かすりもしないので、道具を買い足そうと、近江八幡まで行き、釣具屋に寄ったついでにインターネットで発見したイタメシ屋で昼飯を食った。夕方から再度キャストし始めたが、突然大雨がふりだし、びしょぬれながら粘って、結局ただ濡れただけで負け犬ぼうず。台風一過の翌29日は朝からまた同じポイントに繰り出し、今度は2時間でヒット!小ぶりだったが、すでにそれだけで満足してしまい、早々と切り上げ、コレまたインターネットで発見した大津のイタメシ屋に昼飯を食いに行き、満足して帰ってきたら、夕方までは昼寝して過ごした。後で知ったんだけど、関西のあちこちで、台風の被害があったらしい、電車が脱線したり。嵐は好きなんだけど、確かに雨はきつかった、車のワイパーHIにしても見えない時もあったぐらいだから。そんな中30分もルアー投げてたら、そら、風邪もひくわな。

「弟子2号のK君ついに就職決定」1997.6.18

私の弟子通算2号になる四年生K君がついに就職内定し、長かった5年間の学部生活にピリオドを打つ。しかし、この就職は教授の多大な貢献と尽力の賜であった。一次面接後の連絡で、先方にK君の若者らしい覇気のなさが指摘されたのを受け、教授が自らK君を全面的にプロデュース!ネクタイから、時計、ネクタイピンに至るまで若者らしさをアピールしたスタイルに無理矢理変装させられ試験会場へ。面接の帰りに研究室寄ったK君の姿を満足げに眺める教授であったが、もし、変装が問題で試験に落ちていたらどうするつもりだったのだろうか・・・。

「分子工学研究室対抗ソフトボール大会」1997.6.3

講座の新しいメンバーとともにソフトボール大会に出場決定。四年生、M1を中心に一週間前に京都御所で朝練までする熱の入れよう。研究室でのせめてもの慰めは、新規配属学生の雰囲気の良さである。しかし、二回戦敗退。雰囲気はよかったのに、悔しい。相手チームは優勝したらしくトルフィーに入れたビールを一気のみさせられていた。それを見て内のチームキャプテンの四年生が、「秋のソフトボール大会まで特訓しましょう」と提案。おうっっっ!っと、私の本業は何だっけ???

「同期の桜と梅田の夕べ〜そして早朝」1997.5.28

会社の同期+他会社の友達と共に梅田で飲むことになった。半年ぶりである。相変わらずのアホばっかしで、私を除く全員が30分も遅れて待ち合わせのいすゞショウルーム前に現れた。久しぶりに会うなり、全員で、ここしばらく伸ばしていた私の髭を取り囲み指さしながら笑った。行きつけのカラオケ屋では、ユニコーンの「ヒゲとボイン」を聞かされ、「・・・ヒゲと・・・」の部分では全員が私を指しながら合唱した。そのまま、朝五時まで爆唱し、早朝のげろ臭い阪急東通りを後にした。

「引っ越し後の研究室」1997.4.10

引っ越しが終わった。引っ越し前のあの慌ただしい殺伐とした状況から、荷物の運び出された研究室を振り返って、「ああ終わったな」と心をなで下ろし、荷物が半分になったら少しさっぱりするかも。などと思ったりもしたが、京都大学はその半分のスペースよりも更に狭かった!しかも、こっっこれは・・・、と思えちゃうほど汚い。ぴんち。

「悲しくも、また引っ越し!しかも研究室ごと!?」1997.3.30

高校卒業してから、通算6回目となる引っ越しが突如決まった。パソコン購入と英会話を始めようと心に決めた矢先の出来事だった。ボスから、「助教授の先生が異動するから、ついでに僕も移っちゃおうとおもって・・・。」そんなこと急に言われても・・・。会社になんて説明すればええねんんんっ?!

元に戻る