Taki's HP

登ったり 観たり 読んだり ひっそりと・・・










近況報告

・・・のつもりがいつの間にか気まぐれコラム。


1998年1〜12月分です。

「ディスプレイでビデオ」1998.9.23

 ここ数日、とあるテレビ番組ほぼ全話を、一気に見てしまった。しかも、パソコンで。
 世の中の技術革新は本当にすばらしい。見過ごしてしまった番組を、ダウンロードして、パソコン上で、他の仕事をしながら、鑑賞することが可能なのだから。私など、後半の方しか見ていなかったテレビ番組を第一話からダウンロードして全部鑑賞した。
 確かに、ビデオに比べれば画像は悪いし、ものすごく重い(15分20MB)。しかし、先ほど言ったように何か仕事をしながら再生できるし、突然途中からでも再生できるし、見たところはすぐとばせる。圧縮率にもよるけど、音も悪くないし、CD-Rになら30min物で12本は入る。
 しかも、なんと言ってもこれら全てがほとんどただで手にはいるところがすばらしい。再生アプリもダウンロード(Media Player5)だし、巨大ファイルのダウンロード用マネージャ(Reget)もただである。
 更に、すごいことに、放映の進んでいるところから、こっちでまだやっていない話も引き落とせてしまい、なんだかうれしいような悲しいような。
 圧縮技術や、転送速度もどんどん良くなっているし、大容量記憶媒体もどんどん安くなっている。CD-Rのメディアなど一枚200円位になっている。1MBあたり0.3円である。ただし、最近は、これらメディアとは逆に、メモリの値段は上がってきているそうだ。原因はよくわからないが、落ちる一方だったDOS/V用メモリの市価が薄利多売で生産しにくくなってきているのでは無いだろうか、心配している。
 技術革新はホントにすごい。最近の記事では、介護ロボットなる物が開発され、大部屋の入院患者向けの介護などに期待されているそうだ。私は絶対嫌だ。

「総裁選」1998.7.20

 小渕・梶山・小泉・・・
 ニュース番組は、こればっかりやる。
 民主党の国民支持率が、自民党を超えたとか、自民総裁候補者の国民支持率トップは小泉だとか・・・。
 一党独裁の日本の政治は、なんだか、政治企業「自民党」内部の出世争いみたいに見える。だいたい、自民党って言ったて、派閥でやろうとしている事が違うわけだし、でも、実際には自民総裁が総理大臣になって内閣集めて政治をやるわけだから、国民の声はものすごく届きにくいわけで、連立したって、大企業と中堅企業のえらいさん同士の話し合いで始まった共同プロジェクトみたいなもんで、利益分配がまあまあなら政策が中途半端でも、とりあえずなんかやった、みたいな顔してるのが白けさせる。
 考えれば、考えるほど腹が立ってくる。「まつりごと」は結局、自民党がやるんだったら、せめて、大統領を国民に選ばせてくれればもうちょっと政治を国民が考えるようになるのかも・・・。
 総理大臣は今までで53人もいる。歴代総理大臣について調べてみると、終戦までの首相、29人のうち、9名が暗殺もしくは暗殺未遂、自殺、処刑、狙撃されている。なんて命がけな職業なんだ。
 戦後の首相は、一人も殉職したり狙撃されたりした人はいないが、逮捕されたり、利益供与問題で責任をとらされ「辞任」と言うケースが戦前に比べて圧倒的に多い。中でも注目すべきなのは、就任後女性問題が発覚して参議院選挙で惨敗し、辞職した宇野首相だ。まるでどっかの国の大統領のようなスキャンダルでセンセーショナルデビューを果たした宇野首相だが、たった「64日」で政権が終わるとは気っ風が良い。だいたい、「女性問題は政治に関係ないやん」て思うのだが、やっぱり出てきたときが悪かった。リクルートの利益供与問題で泥沼の自民党内でただリストに載っていなかったと言うだけで、「頼む、あんたしかいない」って言われて、首相になってしまった氏。それまで、議員の肩書きで、ある程度の地位と名誉と金と女を手に入れ、幸せに暮らしてきた(想像)彼を突然おそった不幸。お金にきれいでも、女にだらしない人に政治ができるかー、と言うよくわからない国民の世論制裁の鉾先になってしまった様に思える。
 彼の不幸は、そして、総理大臣になってしまったことだ。彼はそもそもその器ではない。

大統領になるべきだったんだ。

 ・・・等と、馬鹿なことを書いてしまう。酔っぱらってるからね。ウィッ。

「ドメイン・ネーム」1998.7.6

 @「アット・マーク」。本来、簿記で製品の単価を示す記号。

 最近、メールやHP、雑誌のコラムにまで、この@が使われている。どういう風に使われているかというと、

「 Taki@自宅で療養中 」
とか、
「 Taki@腹減って死にかけ 」
とか、
「 Taki@爆睡24時間 」
とか、
「 Taki@死にたい 」

と、いう感じで、(名前)@(状態)としての文法を持っているようだ。
もう、この表現は、慣用的に認められているようで、ネット、チャット、メール、BBS等で盛んに使われている。しかし、どうもこの手の慣用表現には抵抗感を否めない。なぜなら、元々このアットマークは、メールアドレス等でユーザネームとドメインネームを分かつ記号として使われた事に由来する。従って、正しくは、

(名前)@(所属)

なのだ。つまり、

「 Taki@京大工 」

が正しい。自分の身分を明らかにする、どこどこ所属のTakiくんとか、何々にいるなにがし君とかそういう意味である。こういう物がついたのは、メールアドレスが増加してもDNS(ドメインネームサーバ)に負担がかからない様にするためと、メールサーバが間違いなくメールを送信できるようにするためと思われる。この解釈に従うと、冒頭の表記は、

「自宅で療養中」という団体の、Taki君。とか、

「死にたい」という組織の、Taki君。と行った意味になる。

やっぱり、変だ。

・・・と、思ってみると、そもそも、なぜ、@が、この記号が、メールアドレス表記に用いられるようになったのか、そういう疑問がわく。そもそもこの記号がなぜ、キーボード上にあるのだろうか?C言語やBASICでは、@が使われるケースはほとんどない。必要性の無い記号は基本的には、キーボードには無いはずだ。

そこで考えてみた。まず、@がキーボードに有るのは、おそらくタイプライターもしくはワープロから来ていると思われる。伝票に、単価表示の@の記号を使いたいためだ。まー、せっかく有る記号だ使ってやらにゃー、と言って、メールアドレスに@を使おうとした。そういう考えも有るかもしれない。何でもいいんだ、記号なら。いやいや、でもなんか理由が有るに違いない。そこで、アットマークってなんだろう。っと考えてみると、たぶんこういう意味に違いない。

英語の "at" = @

場所、時間のある一点、数量、費用についての前置詞、atである。つまり、

$12,000 @$4,000 (一個4000ドルで、合計12000ドル:費用)

Taki at 京大工 (京都大学工学部のTaki君:場所)

と、言う意味なのではないだろうか。だからこそ、@は必然性をもって、メールアドレスにパーティションを加える記号として採用されているわけだ。

以上の理由をもって、状態、状況を表すのに@を使うのは、・・・あれ、あれれ、辞書の後ろの方に、「状態、状況をあらわすat」っていうのが!・・・

と言うわけで、状態を表すのに@を使うのはOKでえす。(ただし、英文法に従う範囲内で!)

「トマムリゾート」1998.5.26

 やっぱり!っと、思ったのは、ニュース番組の金融関係の特集で、確か北海道のリーゾート産業が危ない、みたいな話をしていたので、一番やばいのはあそこだろーと思っていた。
 私自身、会社の健康保険組合の保養所として、アルファビレッジを使った事があったのだが、札幌から遠い割に、ルスツほどゲレンデは良くないし雪質もそれほど良くない(しかし、本州に比べればずっとすばらしい)。スキー設備とは対照的にアフタースキーの以外の設備は非常に充実している。しかし、店舗数の割には、客足はまばらで、何だかアンバランスな感じが危うさを感じさせた。
 ここで泊まった部屋は、いわゆるコンドミニアムと言うやつで、部屋自体が二階建てで、入ったところが二階。部屋が五部屋で、ベットが十個。この部屋に、二人で泊まり、毎日寝るベットを変えて過ごした。それで、一日宿泊料\3,000! なんだか、豪華な気分に浸れたので、それなりに気に入っていたのだが(ゲレンデも空いていたし)やっぱり、札幌から遠いのでその後利用することは無かった。
 考えてみれば、リゾート経営というのは全くバブリーな状況で成り立つ物かもしれない。会社が保養所契約をしていなければ、宿泊費用は一泊一万五千円から二万円にもなる、もちろんこんな高さでは、客足は見込めないから、当然、企業の契約金によってほとんどまかなわれているが、これが意外と馬鹿にならない。景気が悪くなれば当然契約保養所のレベルを下げなければならなくなるはずだ。もちろん、景気が悪くなれば消費者の財布の紐も締まってくる。北海道に行くくらいなら、近所の海外にでもいって買い物でもしてる方が安上がりと言う物だ。景気の経営への影響はいっそう深刻にならざるおえない。
 利用者は都会の人混みを離れて、北海道のしかも山奥のリゾートを訪ねる。ゲレンデを滑りおりてくれば、待たずにすぐ乗れるリフト。スキーに飽きれば、人工の波音を聞きながら、静かなプールサイドでリラックス。暖まりたければ、ジャグジーバスで思いっきり体を伸ばせる。露天温泉ジャグジーでは雪に囲まれながら、静かに降り積もる雪を眺めることもできる。経営者たちの夢は一瞬実現したが、パラドックスの雪崩に飲まれ、はかなく消え去った。

「G.W.」1998.5.11

 「死んだはずだよ、お富さん・・・」のエイリアン4、見ました。操り人形みたいな顔のウィノナ・ライダーも出てました。でも、あの人がアンドロイドとは読めんかった。
 エイリアンの世界の中で、主人公のリプリーは再生したことを無視すると、約290歳になるそうですが、シガニーウィーバ自体もなんと50歳! それにしても、なんと若々しい肉体と動き。女優さんとか、歌手とか、最近のそれなりのお年の女性はみんなマッチョを目指しているのだろうか?(リンダ・ハミルトン、デミー・ムーア、マドンナ、etc.)
 今回登場した、エイリアン・クイーンの模型は、エイリアン2に使った物だが、十年くらい前に行方不明になっていたそうで、ようやく、熱狂的エイリアン・コレクターのもとにあることが分かり、持ち主に交渉しクイーンのカムバックが実現したそうだ。居間にでも置いていたのだろうか?!
 今回の監督ジャン=ピーエル・ジュネは「デリカッテッセン」の監督だそうで、私はこの映画は見ていないのだが、画が綺麗な事で有名だったらしい。今回は、確かに前の監督に比べると、ソフトな映像だった。しかし、表現されている物はそれなりに過激だったが・・・。
 とりあえず、話の中で疑問だったのは、リプリーと、エイリアンはエイリアン3で残されていた血液(だったと思う)から細胞培養とクローン技術で作り出したらしいが、寄生虫であるエイリアンの遺伝子を含む細胞が宿主の血液中を流れていたとしても、別の遺伝子を元にクローニングして、エイリアンを宿したリプリーが再生するだろうか?別々ならわかるんだけど・・・。別々に遺伝子が取り出せれば、博士たちがあんなに苦労することは無いだろうから、と言うことは、エイリアンは寄生すると、栄養をもらってひたすら成長するだけでなく、ファージやプラスミドの様に人間の細胞内に遺伝子を注入し、組織を作らせているのだろうか? 話の展開上重要な事だから、その辺ははっきりさせて作っていると思うので、ちゃんと設定があったのだと考えると、今まで考えていた、幼虫のエイリアンが人間に卵を産み付けて卵がかえって、回虫みたいに栄養を吸収して成長すると言う考えは間違いだったのだろうか?
 もう一つ、エイリアン4の世界では、企業が無くなって、あたかも連邦政府みたいな物が地球の面倒を見ているようだが、そのような状況で、エイリアンを復活させてなんに使おうというのだろうか?どうも、世界観がよくわからんかった。
 個人的には、エイリアンは二作目が一番好きだけど、この四作目は、どうだろう、三作目よりは良いかもしれない。でも、明らかにマンネリだと思うな。

「ゴールデン・ナイター」1998.4.26

 今日の阪神巨人戦は、おもしろかった。
 真弓が解説者で出てた。まー、真弓はどうでも良いけど、もう一人の解説者が稲尾だった。かねてより、ひいきにしていた中込が好調で阪神が大量リードの試合だったが、四点差で阪神の外人助っ人投手B.リベラに引き継いだ。
 その投球速度がスピードガンで表示されるより早く見える。と言う話で、体が大きいからリーチも長いし、打者には余計に早く感じるだろうと言う解説だったが、稲尾は更に付け加えた。

稲尾:「昔(たぶん30年以上前)、OPEN戦でジャイアンツの馬場と対戦した事が あってね。」

実況:「馬場と言うと、あの馬場しょうへい(全日本プロレス)さんですか。」

稲尾:「そう、あの馬場さんだけどね、へへへ、おっきいからね、マウンドに立ってても目の前にいるみたいでしたよ。」

実況:「確かに大きいですからね。」

稲尾:「球は遅かったんだけどね。」


その後、5秒ぐらい放送事故みたいに沈黙があって、アナウンサーの人は何事もなかったように、全く無関係な話を真弓に振っていた。

いいナイターだ。

「地震」1998.4.24

 この前家でくつろいでいたら、突然、目の前がぐらぐらして、あー飲み過ぎた かなーっ、二日酔い気味だったのにまたウイスキー飲んじゃったからなー、と思 って、少し冷静に考えてみたら、照明が揺れているので地震であることに気がつ いた。こんなんで本当に大地震が来たらあっけなく圧死だろうか。
 私は、北海道南西沖地震(震度4)、阪神大震災(震度3)と、大きい地震に遭っているのが自慢。社会の緊急非常事態と言うのを、身をもって体験してみて、自分には、なぜか変な度胸がある事に気がついた。特に、南西沖地震の時は本当に自分の身が危ないと感じた数少ない体験の一つ。
 三階の研究室にいたあの時、突然、建物ごと横に激しく揺れはじめ、クロム酸混液の入ったメスシリンダーや、窒素のガスボンベがガタガタ言いだした。私は、「ガスの元栓!」と仲間に言って、ひもで結ばれたボンベを両手で押さえながら、でもそのボンベの根本がゆらゆらしているのを感じて強く自分の身の危険を感じた。以外と、冷静な判断をしている割には、一分近く揺れ続ける地震に、しびれを切らして、大声で「とまれー」と叫んだのをよく覚えてる。何度も電気がついたり消えたりしてようやく揺れは止まったが、窓の外の町は真っ暗で、まるでそこになにも無い様に静かだった。なぜか、大学だけは電気がともっていた。隣の研究室は、試験管から試薬、測定器まで全滅もしくは半壊していた。棚の方向が揺れと垂直だったので、ほとんどの棚で試薬が割れてしまったのだ。自分の研究室は、揺れがたまたま棚に対して平行だったのでビーカが二、三割れた程度ですんだ。一通り、かたずけた後、自分の家が気になったので、家に戻って、自転車を二階に上げた。津波が来るのを恐れたからだ。丁度その頃、奥尻にはもう十メートルを越す津波が来た頃だった。町では、信号機が停電して車がのろのろ走っていた。流動化現象であちこちから水が噴き出しているフェリー乗り場には、津波が来るのを一目見ようとたくさんの車が駆けつけていたそうだ。私は二階の家から海の方をじっと見ていたが津波はいっこうに来る気配はなかった。
 緊急事態の時の自分の精神状態は以外と冷静で、自分の行動を妙に分析しているので、あとで考えてみるとと、おかしい。「あー、今自分は少し緊張している」とか、第三者的に思っている。それなのに、なんで、学会や雑誌会で発表しているときの自分は、自分に目がいかないのかすごく不思議だ。たぶん、その時が一番、狼狽えていて、でも一生懸命な瞬間なのだろう。

「出張地獄」1998.2.28

 やっと出張地獄から解放されて、自宅でリラックスした。二週間の間OHP作っては発表して、帰ってきてまたOHP作って発表して、ってやっていたらいつの間にか二月が終わっていた。実に、出張以外の動きを含めると飛行機2回、新幹線6回乗っていた。こんな事、今までの人生はじめての出来事のように思う。発表も、以外に受けが良かったり、以外に受けが悪かったりして、精神的にもきつかった。発表以外の事でも、期待はずれや予想外な喜びなど、気分の上がり下がりが激しく、精神分裂しそうで、肉体的にも精神的にもへとへとになって地獄の二月が終わった。などと、愚痴っぽくなってるのだが、要所、要所で適切に友達にあって精神バランス をとれたので、何とか深い鬱に入らずに済んだようだ。こんな時、ほんとに友達のありがたさを痛感する。
 さて、今回飛び回ってみて思ったことが幾つかある。その一つとして、新幹線である。私は修学旅行に東海道新幹線に乗ったくらいで、今まで非常に縁の少ない 乗り物の一つだった。だから、新幹線というと、山陽、東海道、東北位しか知らなかったのだが、初めて上越新幹線なるものに乗ってしまった。今まで、こんなに新幹線がたくさん種類のあるものだとは知らなかった。しかも乗った新幹線の名前が、

『MAXたにがわ』

なるものだった。新幹線というと、「ひかり」「こだま」「のぞみ」とか、そういう抽象的で、一般名詞的な聞き触りのないものだったのに、『MAXたにがわ』、プロレスラーかいな!コレは何か差別的な発想を禁じ得ない。新幹線の名称が、一般名詞から固有名詞になるということは、「ひだ」とか「あずさ」とか、特急の名称と同じ扱いであるわけだから、たぶん普通の新幹線よりも格が落ちるのであろう。おそらくそれまで走っていた特急を、新幹線に繰り上げて利用料金を稼ごうという、JRの汚い手ではないだろうか?それとも、この辺りの電車の名前は、こういうふざけたのが多いのだろうか、確かに、関東以遠には「ビバあいず」とか「おはようとちぎ」とか「ホームタウンひたち」とか、ふざけた特急名称が多い。どんなやつが来るのかと思って、ホームでじっと線路の先を眺めていたら、「・・・これは、・・・新幹線?」というような、二階建てのなにやら流線型の飛行機のような、ペレット打ちのシャーシが現れ、どやどやと乗り込んだ。走り出してみると、やはり速いわけで、しかもシートなんかは、古い東海道新幹線の車両よりゆったり、きれいで実は満足だった。長い間、隔離された島に住んでいた私は、時の流れに取り残されていたようだ。高崎までの一時間足らずは、タイムマシンに乗ったように、あっという間に過ぎていた。  

「感動」1998.1.31

 N-graphをみなさん御存知無いだろうか?化学系の学生にはなじみの方が多いと思うのだがDOS上で動く二次元グラフエディターで品質の高いグラフが簡単に印刷できる非常に利用範囲の広い良くできたプログラムだ。実際、学会のいくつかはこのエディターで作ったグラフで発表した程だ。私はたくさんの研究室を渡り歩いてきたり、見て回ってきたが、いくつもの研究室でこのN-graphが使われていた。分子科学研究所のUV-SOR施設のデータ解析用パソコンの中にまで納められて使われていたほどだ。しかもこのプログラムはFREE SOFTなので誰でも入手でき最も速度が速く、最も軽く(メモリ上)、最も完成度の高いソフトだった。実際、ハードディスクのないPC98ノートなどでも正常に動く。
 学会から、修論までこのソフトにはさんざん世話になったのだが、最近ウィンドウズが主流になり画面上でマウスを用いて文字を自由に調整できるグラフエディターが増えたのでN-graphを使うことは無くなった。その後、ウインドウズ版も出たがいまいち完成度は高くなかったし使いずらくて全く使う気になれなっかった。
 最近、研究室がイントラ化してDOSで使えるプリンターが無くなり、昔作ったグラフが打ち出せなくなって困っていた。そこで、インターネットを検索してついにN-graphのHPを発見し、最新のDGのバージョンを得た。最新バージョンはウインドウズ上で動くDOSアプリケーションタイプ N-graph ver.5。これを使うとウインドウズ上でDOS版と全く同じ操作で作業ができてウインドウズ用プリンタードライバーが使えるので、ネットワークで繋がったプリンターに出力することができる。
 いくつか設定でわからないところが有ったので直接作者の方にメールしたところ、すぐに返事が来た。感動である。あの偉大なフリーソフト「N-graph」の作者が自ら私にメールを下さったのだ。NEC Fundamental Res. Labs.にお勤めらしいのだが、ユーザーが少なくとも数万人はいるだろうによくクレームのメールを一つ一つ返事できる物だと非常に感心しました。何とか問題は解決できたので、お礼ついでに自分の疑問について気軽に質問してみた。
 以下、私の疑問のメールと、N-graph作者石坂さんの回答より抜粋、

 大変つまらない事なのですが、昔から気になっていたのでお聞きします。DOS版N-graphの実行ファイル名はDG.EXEですが、なぜ、NGRAPH.EXEにされなかったのでしょう?DGはDigital Graphの略ですか?
--------「私」


 DOS版ではキーボードからコマンド入力する必要があるので、出来るだけ短く した方が便利ですが、NG と言うと有名な micro emacs になってしまいます。No good みたいにも思えたので Draw Graph にしました。
 Windows では特にコマンドラインから入力しなくても良いので長くてもさほど問題ではないのでフルにNGRAPH にしました。
--------「石坂さん」


 このようなつまらない質問でさえも、次の日の朝には返事が届いている。感動である。長年の謎もずばっと解決されて、更に感動である。なるほど、そうだったのか。
 とにかく、一つ言えることは、やっぱり電子メールはすごい。人と人との空間的な距離だけでなく、心の距離まで近づけている。逆に、これは少し恐いことにも思えるのだが・・・。
 ちょっとこれに味を占めて、高倉健や香取慎吾にもメールを送ってみたい気持ちでいっぱいである。

「無法地帯」1998.1.26

 朝学校に来ても、誰もこおへん。11時ぐらいになってもまだこおへん。ついでに先生(教授・助手)も学校こおへん、っておもってたら、教授は出張らしい。それでみんなこおへんわけや。
 なんか損した気分で午前中を過ごしたのだが、今日はマシンタイム初日と言うことで、午後から出てきた後輩と一緒にようやく装置のセットアップに入った。でも、なんか気合いはいらへんよ、ほんまに。
 ところで、今全豪オープンテニスやってるんだけど、地上波のテレビでやるの決勝ぐらいでしかも、テレビ大阪らしいし、衛星もwowwowやし。京都は、テレビ大阪うつれへんねん。信じられへんわ。噂によると、杉山が16位入りしたみたい。見たい〜。

「マシンタイムの前だから・・・」1998.1.25

 共有実験装置が自由に使える期間をマシンタイムと呼んでいる。実験装置例えばレーザーなんかが実験を行うのに十分な数が無い場合に期間を2週間ぐらいに区切って実験を行うチームに割り当てて装置を共有するわけだ。高価な装置や大きな実験施設などには一般的な事で、分子科学研究所のUV-SORも二週間交代制で共同実験のマシンタイムを区切っている。ひどい研究室では、朝昼晩の三交代制のところもあるらしい。
 このマシンタイム中はその期間だけしか実験できないわけだから、土日祝日も関係なしで実験する事になる。だから、精神的にも体力的にも非常に辛い。学生はバイトもクリスマスもデートも吹っ飛んでしまったりする。家に帰っても寝るだけだし、実験が終わってもデータ整理が夜遅くまで続く。しかし、集中して実験するというのはだらだら実験するよりも一発で良い結果が出ることが多く、良い結果が出れば疲れも吹っ飛ぶというものだ。
 来週からマシンタイムなので、今週末は家でゆっくりすることにした。
 最近、週末には必ず私のGeocityの方のHPを更新している。Yahooやら、NTTやら、CSJなんかのサーチエンジンに登録したもんだから、なんか責任を感じてついつい書き込んでしまう。おかげで非常に勉強になる。東大のゼミには、「面白いホームページの作り方」なる物もあるらしいが、発信するために調べると言う作業は非常に勉強になるのである。HPに掲載するための資料を外国の本屋に発注して費用が数万円になるなんて人も結構いたりするのだ。見られると言うことを意識しているので、それなりに意気込みも違ってくる訳だ。
 そんな感じで、自分としてはアクティブなインターネットライフを送っているつもりでいたのに、友達からこのホームページの近況報告が全然近況とちゃうやんけと文句を言われた。確かにその通りである。と言うわけで、これからは週三回を目標に更新していこうと思う。で、でも・・・マシンタイム終わってからかな・・・。そんなわけで、マシンタイム前にいちどは更新しとこうと思いまして。
 今日、「知ってるつもり」をみた。関口宏が嫌いなのと、出演者全員が偽善者のたいこもちみたいで吐き気がするので普段は見ないのだが、逸見政孝さんの特集だったので見ようと思った。テレビ上では清楚なお父さん的なキャラクターの氏が、家庭では亭主関白で、子供とほとんどコミニュケーションが無い恐い存在であったことに非常に驚かされた。仕事にも厳しく、信念の強い人だった事が仕事仲間や家族から語られた。それを見ながら、何時しか逸見氏と、自分の父親の姿を重ねていた。癌によって人生の幕を閉じるところも・・・。
 癌と闘いながら綴った手記の中で家族に対する愛情や、死に対して戦う気持ちが示されていた。ベストファザー賞を受賞している逸見氏が、むしろ人間くさい部分を見ることで自分の父親の様に感じられた。久しぶりに、少しだけ、父親の事を思い出した。そう言えば、父が死んだのも、分子研のマシンタイムの前だった。
 ・・・「レオン」のエンディングの曲を発見したので、聞いてみた。気持ちに良く合った。

「正月の体重コントロール」1998.1.4

 去年の暮れから、正月三日までは実家に帰って久しぶりにゆっくりした。親の料理に少し飢えていたので、昼間出歩いても夕食には帰るようにして過ごした。おかげで二キロも体重が増えてしまった。ところで、12/30に友達と三人で酒を飲んだのだが、そのうちの一人はかつて拒食症で治療を受けていた経歴を持つ。前日に深夜テレビで拒食症について説明している番組がありたまたま見ていたので疑問をぶつけてみた。
 拒食症患者は拒食→過食→拒食を繰り返し、ひどいときには、自殺、リスト・カットをしてしまうそうだ。なぜそう言う心理状態に陥るのか聞いてみた。そもそも、こういった患者がその発端として持ちうる心理として「自分をコントロールしたい」があるらしい。この心理状態に至る過程は様々だが、例えば仕事や学校での人間関係がうまく行かないとかで、いろいろな事が自分の思い通りにならないときに、自分の体だけは自分でコントロールできると思いたい。とか、あるらしい。また、コントロールまでは行かなくても、「今の自分を変えたい」(身体的に痩せたいとかそう言うのだけじゃなくて)、と言う気持ちが発端になる場合もあるらしい。それで、その気になれば痩せれるのよ、って感じでホントに病的に痩せちゃう、痩せてくうちに食事したくなくなる。どんどん痩せちゃう、で病気になって治療受けるんだけど、体が回復してくるとリバウンドでどんどん体が要求して食べちゃう。食べ過ぎで元の体より体重増えちゃって、また体をコントロールしてやる(痩せよう)て思う・・・。もっと本質的に、痩せたり、太ったりを繰り返すこと自体を自分に対して自分をコントロールしていることの証明としようとする。リストカットもここまでやっても死なないとかそんな自分に対する生死のコントロールみたいなもんがあるのだろか。確かに、思い通りにしたくても思い通りにならない事が心の中に大きな部分を占めてる事ってあるような気がする。
 東大の社会学の宮代さんと言う人がその深夜番組の中で話していたが、今の社会の若者達が危険を省みずバイクや車で峠をドリフトすることや、深夜スケボーに興じることに関連づけて同様の事を言っている。若者達が昨日よりも今日うまくスケボーに乗れる、車をコントロールできると言うことを喜びとして暮らしている。コントロールできない社会環境のかわりに思い描いた通りに体が動く事を自分の頼みとして生きている姿を憂いている様だった。またそのことと、神戸の殺人事件を関連づけようとする番組の作りだった。しかし、それは若者だけでなく年取った人々も同じように思う。自分の輪の中で何かをコントロールする事で安心を得ているのは、何も若者だけじゃなく労働者の中で起こるいじめや、大企業の中小企業に対する扱い。子供を思い通りにしたい子離れできない親の心理。個々の環境に応じて様々だが、そう言った感情は常に存在し人間の行動の大きな柱になっているのではないだろうか?拒食、リストカットに至ってしまう人たちがどの様な環境の圧迫で、コントロールできそうな対象が自分の体だけになってしまったのか・・・。それは、とても気になるところであるが、私にはやはりよくわからない様だ。
 話はだいぶそれたが、その友達が、どの様にして復帰したかは聞くことができた。拒食になって、「ああ自分は病気なのかも知れない、病気なんだから医者に診てもらった方がいいのかも」と思って精神科医にかかったところ、その医者が相当いい加減で本人はかなり腹が立ったらしく、診察券も受け取らずにカンカンになって帰ってきたそうだ。それで、医者なんか当てにしてられない、自分で何とかしなきゃと思い、立ち直ったのだそうだ。先生の治療は正しかった訳である。

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